茶碗の中の宇宙〜樂家一子相伝の芸術〜
2017/01/27
京都は岡崎の京都市美術館に
日展を観た後に行きました
茶道にはまったく疎い私ですが
千利休の唱えた侘び寂びの世界は
それがわかるかどうかは別として
日本独自の美学ゆえに無視出来ない
豊臣秀吉の絢爛豪華な美に対しての
アンチテーゼともとれる利休の美
少しでもその美の体験と理解は
求めたい
茶道で使う茶碗の
あの独特の形状と色彩と
今にもほろほろと崩れそうな造形
それらが一体となった美は
美と美じゃないその境界線にいるような危うさ
それが侘び寂びの一面なのかなと思う
この展覧会は
千家十職の1つである
樂焼の樂家の初代長次郎から
現在の十五代吉右衛門までの樂焼を
一同に観れる貴重な展覧会
例えば有田焼の柿右衛門のように
1つの確固たるスタイルがあり
それを継承しているのかと思いきや
長次郎作から吉右衛門まで
時に微妙に時にかなりの違いがある
ただ1つの芯というかコンセプトというか
それは繋がっているように見える
展覧会の途中に
琳派の創始者の一人である
本阿弥光悦作の茶碗がある
その茶碗がその代の樂焼の代表に
衝撃を与えたという
つまり
本阿弥光悦の
茶碗という固定概念にとらわれルことなく
自由に大胆な発想が大事だ
ということを樂家に知らしめたようだ
伝統は守ることだけでなく
その時代時代に変化していく
先代のイメージを一旦壊し
そしてまた構築していくというスタイルが
徐々に定着していったようだ
その変化がこの展覧会でとてもよくわかる
私は時間がなく音声ガイドを使用していませんでしたが
使用されたらよく理解出来るだろうと思いました
理解できなくても茶碗の地肌を観て
そのテクスチャに見入るだけで充分に面白いですが
Toshio Kamitani