Toshio Kamitani Design

You are what you ate. 神谷利男おひとりさま展までの長い道のり

2020/08/08

ギャラリーモーニング[京都]

 

ついにというか絵画の個展を開催することになった

これは結構感慨深いものがある・・・・

 

思えば長い道のりだったようにみえるし事実そうだ

美大芸大卒の輩や同業のデザイナー諸氏の多くが

小さい頃から「絵が好きで上手かった」のだろう

御多分に洩れず私もそれなりにそうだった

というか他に取り柄がなかったというべきなのだろう

小学校の授業で一番楽しかったのが図工の時間であった

体育もまあまあ楽しかったけれども

図工はとにかく楽しみであった

小学生のあるときに父の仕事関係の方から

京都に美術高校があることを聞いた

なんでも毎日図工の時間が半日くらいあるという

図工の時間が好きだった神谷少年は深い理由もなく

「行きたい!」と思った

多くの同級生と同じく学区内の公立中学へ進むが

図工(中学では美術といってたかな?)の時間はさほど楽しみでもなくなっていた

単に勉強しなくていいのが少し嬉しいといったくらいの思いだったような気がする

多くの同級生と同じく決められた学区内の普通科の高校へ進むかと思っていた

そう 中学三年の冬までは・・・だ

ある朝だったと思う

布団をめくって起き上がる時に

「あっ!あの小学校の時に行きたかった美術高校へ行こう!」と

突然 そうまさに突然思ったのだ

担任の先生にそれを伝えると

「勉強はさておき実技が問題だ」と少し難しい顔をした記憶がある

それは実技試験まで数ヶ月しか期間がなかったからだ

僕はクラブ活動というものに興味がなく

美術クラブにももちろん入っていなかったし

美術の時間も適当に過ごしていた(それでも成績はよかったが)

とりあえず美術の先生のところへいくように指示され向かった

美術の先生はそんな学生がいることに少し驚いたのと

そんな学生がいることに少し喜びを感じたようにみえた

僕は次の日から毎日放課後に美術の先生の部屋に通って

先生が用意するりんごやらみかんやらヤカンやらコップなどを

デッサンしたり着彩画を描いた

周りの友達とはこの頃から自然と離れていったようだ

中三の冬はただひたすら絵を描き勉強していた

そして周囲から消えるように僕は一人

京都市立日吉ヶ丘高校美術工芸高校の図案科に入学した

 

なぜ図案科(今でいうデザイン科)を選んだのかはよくわからない

ただなんとなくということくらいしか理由は思いつかない

絵は好きだけど絵で仕事をするようなイメージができていなかったからだろう

それ以上に強く「絵を描きたい!」という欲望がなかったのだろう

いや 今思えば「描きたいものがなかった」んだろう きっと

美術高校の図案科を選んだ時から僕は「デザイナー」という仕事に向けて

ただひたすらそれだけを職業として当たり前のように目指してきたように思えるし

それ以外のことを考えた記憶はほぼない

大学もデザイン科を選択し卒業して

そして僕はデザイナーになった 

憧れのという気持ちもさほどなく当然のこととしてデザイナーになった

 

以来ずっとデザインの世界で生きてきたし今も生きている

50歳を過ぎたとある日に実家にいくと母親から手渡されたのが

「小学校の卒業文集」だった

そこには6年2組 神谷利男とあったけれど

それが不思議に思えたのは自分じゃないような気がしたからだ

短い文章だったけれど簡単にいうと

「大人になったら画家になって外国で個展をひらいて世界中の人に絵をみてもらう」

とあったのだ

恥ずかしいからか書いたことは何となくは覚えていたけれど

まったく実現していないから思い出したくはなかった

若かったら笑ってすませていただろう

でもその時思ったのは「あっ!やり忘れていたことがあった」であった

「僕は今まで絵というものを描いたことがない」という事実を知ったのだ

もちろんデザインの仕事ではたくさんのイラストレーションは描いてきた

イラストレーター兼デザイナーというキャプションがつく仕事もしてきた

ただそれでもやっぱり「絵画は描いていない」ということは真実だった

それからはそう 中学三年の冬に美術高校を目指したときとまったく同じように

 僕は「油絵を描き」出したのだ

なぜ油絵なのかは小学校の卒業文集を描いたあの個展のイメージが

ゴッホだったからだ

 

油絵具の匂い 筆の硬さ パレットのカタチ キャンバスの手触り・・・

どれもが新鮮で僕は小学生の頃に戻ったように感じた

週末は一人部屋にこもり油絵を描いていた

絵を描かない時も油絵に関する書籍ー歴史や技術や道具や画家や画集やー

それらを貪るように読んだり観たりしたし

あまりいかなかった美術館へもいくようになった

グループ展のお誘いにも今までならDMのデザインだけしていたのに

出品者の一人としても参加するようになった

それは大きな喜びでもあったけれども同時にまた

プアーな自分をさらけ出してしまったことによる

ちょっとした苦しみでもあったのだ

でもそれでも「絵を描く」ということは何にも代えがたい

喜びみたいなものが確かにあった

美術の文脈を知りこれから何をすべきかということを考えている時期もあったし

今もそれは頭をよぎってしまうこともあるけれど(多くの知識を入れてしまった故に)

ただ「描いていて楽しい」ものが数年前に見つかってしまい

そのアイデアが溢れてきてそれら全てを描かざるを得なくなってしまった

 

今回の初めての絵画の個展の開催はつまりそういうことなのです

 

Kamitani Toshio